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妙見大菩薩(妙見さん)について

私たちが北の夜空をながめると、不動の星を見る事ができます。この星を北極星と言い、この星を神格化したのが
「北辰妙見大菩薩」です。一般には「妙見さん」として愛称されています。

太古の中国では、太陽・月・星の運行を神秘的なものとして崇め、星を見て政事を行いました。そして、北天に輝く北極星を中心に、運行しているのを見てこ の星を王として尊崇しました、それが妙見信仰の起源であります。北極星を中心に北斗七星と周りの星々を北辰と言い、北辰妙見信仰の一部をなしてます。ちな みに、インドでは北極星は低い位置にあたり見えないので北辰信仰は無いと思います。

「北辰妙見大菩薩」は、宗教宗派によって様々の尊名で呼ばれています。道教では、「鎮宅霊符神」や道教の最高神「元始天尊」の化身である「玄天上帝」、 また「太一」・「北極紫微大帝」など時代や教義によって色々と変化しながら北辰に纏わる神々として篤く信仰されています。また、神道では、「天之御中主 神」(あめのみなかぬしのかみ)、陰陽道に於いては道教に準じ崇められており、仏教に於いても「北辰妙見大菩薩」や「北辰尊星」など呼ばれています。いず れにしても、日本に伝来し神仏習合され民間に広まり、様々な立場において重要な地位にあって篤く信仰されています。
 
その姿は日蓮宗においては、亀に立ち剣を地に立てている立像と、受け太刀の能勢型と言われる座像の二形態あります。

亀に立つ立像は、先に挙げた「玄天上帝」の逸話に因るものと思われます。「殷の紂王の時、魔王が民衆を傷付ける事件が起こった。それを知った元始天尊 は、玉皇上帝に向かって玄天上帝に魔王を討たせるよう命令した。命を受けた上帝はざんばら髪に裸足のまま兜をかぶり、六丁六甲の神将たちを従えて魔王と 戦った。魔王が青亀と巨大な蛇に変身すると、神力で足下に踏みつけて地獄に送り、天上に凱旋した。そして元始天尊は玄天上帝の尊号を与えたといわれる」。 この故事により、岩上の青亀の上に立ち、白蛇を体に巻きつけ、二本の手で剣を地に立てて、睨みをきかしている姿をしています。また、亀と蛇が絡み合ってい る姿を「玄武」と言い、北の守護神として祀られています。その姿を拝むには、尾張黒田の法蓮寺や池上妙見堂などに祀られています。

座像の能勢型は、真如寺の寺歴によると、室町戦国時代日蓮宗の僧侶「日乾上人」よって創作されました。能勢の領主能勢頼次は、日乾上人の法話を聞き深く 帰依され、頼次の要請に応えて能勢の地に屋敷を構え布教の拠点とされました。現在の真如寺です。日乾上人は能勢家に古くから伝わる、「鎮宅霊符神」を法華 経の守護神「妙見大菩薩」とし、さらに武運長久を願って甲冑姿に剣を上に立てた姿に仕立て、「妙見大菩薩」の尊像を日乾上人自ら彫刻して授与されました。 鎧を着て、右手で太刀を頭上にあげ、左手で金剛印を結んでいます。もともと、この太刀は剣先を天に向けていましたが、その上を通過する雲が真っ二つに切断 されたので、その霊験あらたかさを恐れ慎み、受け太刀にしたといわれています。この尊像を頼次は為楽山の頂上に妙見堂を立て「妙見大菩薩」を祀りました。 これが能勢妙見の始まりです。それ以来関西随一の霊場となっています。現在、日乾上人作の妙見さまは、妙見堂が小さく古いため、明治二八年に大改修を行っ た際に作り換えられています。その尊像は尾張東講が授かり小牧啓運寺に安置されています。

その御利益は、国土を守り、様々な悩みや災いを消し去り、敵を退け、寿命を増す大菩薩と言われています。災いを除き、福を招き、家を鎮め繁栄をもたらす 「鎮宅霊符神」の要素と、北極星が航海の目印となることから海上安全の神、また海上貿易で利益を得ていた大商人が帰依したことから商業の神、そして妙見と いう字面から、眼病平癒の神として民衆の間に信仰が広まりました。また、僧侶の教育機関「檀林」の守護神として、知恵の神とりわけ受験の神として信仰され るようになりました。

このような歴史的経過を踏んで日蓮宗と妙見信仰は密接に結びつき、優陀那日輝をして、「当時専ら宗門において霊験盛んなる事、祖師についでの神なりと」 言わしめた、霊験顕著な大菩薩として、「法華経」の信者のみならず、他宗派の人々からも深く尊崇されています。