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七面大明神について

七面大明神は七面天女ともいい、法華経の護法神、法華経を信仰する人々の守護神として全国各地で信仰されています。

そのお姿は、右に施無畏の鍵を、左には如意珠の玉を持ち、日蓮宗総本山、身延山久遠寺の裏鬼門にあたる七面山山頂に祀られています。

日蓮聖人は、現在の思親閣がある身延山山頂に度々登り、亡き父母の墓のある房総の方角を拝しては両親を偲んでいました。

建治3年(1277)9月、日蓮聖人が、身延山山頂から下山の道すがら現在の妙石坊の高座石と呼ばれる大きな石に座り信者の人々に 説法をしていた時、一人の美しい婦人が熱心に聴聞していました。
日蓮聖人は、「このあたりでは見かけない方であるが、一体だれであろうか」と一同が不審に思っている気持ちに気付き、 その若い婦人に向かって、「そなたの姿を見て皆が不思議に思っています。あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」と言いました。

すると、婦人は笑み「お水を少し賜りとう存じます」と答え、日蓮聖人が傍らにあった水差しの水を一滴その婦人に落とすと、 今まで美しい姿をしていた婦人は、たちまち紅龍の姿に変じ、「私は七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、 身延一帯を守っております。末法の時代に、法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます。」 と、言い終えるや否や、七面山山頂の方へと天高く飛んで行きました。その場に居合わせた波木井公をはじめ人々は、 この光景を目の当たりにし随喜の涙を流して感激したといいます。

その後、聖人入滅16年後の永仁5年(1297)9月19日、波木井公は六老僧の一人日朗上人と共に七面山に登り七面大明神を祀ったと伝えられ、 七面山ではこの日をもって開創の日とし、大祭を行い参詣者で賑っています。

身延に古くから伝わる身延鑑には、七面山の名の由来について、『此の山八方に門あり、鬼門を閉じて聞信戒定進捨懺に表示、 七面を開き、七難を払い、七福を授け給う七不思議の神の住ませ給うゆえに七面と名付け侍るとなり。』とあり、 また七面大明神のもとのお姿は『安芸の国厳島弁財天』と記されています。